さて、、昨夜ようやく富山から帰宅しました。
怒涛の1週間だったので何が何だか、、
毎日毎日、
今日のことを1つ1つ乗り越えて行くしかない、
って思いながらこなしていましたよ、、
ひと区切りはしたけど
納骨まではまだまだ長い道のり。
しかも11月は通院その他の予定が
目白押しなんだよな、、
さて、メモを頼りに
記憶を遡ってみようかと思います。
知らせを受けたのは
この記事をアップした直後でした。
富山2日目、
この日から娘が合流することになっており
空港まで迎えに行く途中のことでした。
義姉より義父が呼吸をしていない、と電話が。
施設から連絡があったそうです。
実はこの日の早朝にも電話があって。
びっくりして恐る恐るグレ夫が出ると義姉から。
たったいま義父からの電話で
「グレ夫がNHKのニュースに出てる」
「選挙のニュースだ、」
などと言ってる、
「あんたニュースに出たがけ??」と義姉。
「あんたと間違えてわたしにかけたみたい」
そりゃーテレビの方も人違いだよ。
なんだそりゃ??びっくりしたわ、
、、なんて話したとこだったんですよ。
だから
「呼吸はまた戻るかもしれない、」
と言われたのもあって
まさかこのまま、、とは思ってもいませんでした。
空港には早く着きすぎてしまって
飛行機は遅れて、、
やっと娘を乗せて義父の施設に急ぐ途中で
「亡くなりました」と再度の連絡が。
面会の予約は今日でした。
義父に会う前に前に医師から今後の相談がある、
と言われていたので
なんとなくの覚悟?のようなものはあったけど
こんなに早く、、
(前の日はホテルのラウンジでビール4杯も飲んでた、、)
1年ぶりに会う義父はすっかり痩せてて、、
食事が取れなくなったこの2週間で
みるみる痩せたそうです。顔も別人。びっくり。
グレ夫、3日に1度は電話をしていたようですが
会いには来てませんでした。
同じ施設にいる認知の母が
グレ夫を忘れてしまったこともあり
富山に帰りたがらないグレ夫を見たわたしの父に
「連れて帰ってやりなさい!」と何度も言われて
やっと今回の訪問を決めたんでした。
もう少し早く来れたらね、、
でもつい4、5日前
病院の検査に同行してくれた職員に
「孫は弁護士とCAなんだ〜」と
自慢しまくってたよ、恥ずかしい、
って話を義姉から聞いていたので
まだそれくらい元気なんだと思ってました。
てか、昨日も墓参りで近くにいたのに。
こんな状態と知っていたら昨日も来たのに。
疲れたから早めにホテルに行って
飲み放題のビュッフェ楽しんでたよ、、
死んでしまうと
すぐに次々やることがあるんですね。
義姉は葬儀社へ、
グレ夫は同じ集落の親類や叔父に電話をかけます。
ここからがね、ほんとに大変だった、、